今回はツイッターでのつぶやきをみて思いついたネタなので栽培とはあまり関係が無いかもしれません。園芸趣味の人に対する考察みたいな感じです。
〜暗黙知と形式知〜
世の中には長年の経験や直感によって個人的に研ぎ澄まされていく、言語化が難しい感覚的な知識の「暗黙知」 と言語化できる(しやすい)数値やデータに基づいて客観的に伝えやすい知識 「形式知」 があるようですね。
長く書きますが結局は
経験と正確な知識をしっかり持ってスキーマが出来上がってくると最高よねという話です。
沼にハマる人の話 〜スキーマ構築から暗黙知による行動に至るまで〜
栽培始めたての頃を思い出してみてください
水やりについて
多肉植物は夏は夕方に水やりをするよ!冬はよく晴れた日の午前中に水やりをするよ!ドロセラは腰水で育つよ!
と言われると正確さはともかく、なんとなく取り組みやすい気がしませんでしたか?
取り組んでいくうちに 多肉植物はってなんだよ!冬のよく晴れた日ってなんなんだ?用土が湿ったまま夜を迎えると弱るよ!翌日に気温が低いと霜が降りるよ!とか ドロセラでも腰水だと不調になる種類もあるじゃん!と色々と細かい部分が気になっていきます。
気になった部分を悩んだりして調べたりして対策をして解決していくと形式知(こういう対策をしたな)が少しずつ積み重ねられます。
そのうち、細かいデータ(気温や湿度や水やりの回数など)記録もつけていると形式知がより細かくなり、人によっては自分の経験の知識の根拠を知るために生物学だったり、その周辺の知識を得ようとします。気がつくと興味の対象が幅広くなったり、細かくなります。
逆に知識がある方が知識をもとに園芸を始めるなんてこともありますね。知識がある方が初めての園芸的な本を見ると客観的な指標が少ないことにがっかりなんてこともありますね。
そうしていく中で「形式知」(自分の体験からのエピソード的なものや科学的な根拠の知識など)から趣味の範囲での園芸に関してのスキーマ(知識のまとまり)が構築されていきます。そのうち暗黙知(スキーマを元にした勘やら知覚・認知)による行動(意識して取り組んでない作業)が出来上がってくると思います。この暗黙知というものは言わば自動運転(オートモード)のようなもので息を吸うかのごとく当たり前にできる行動・浮かぶ思考です。自転車に乗る感覚を事細やかに説明できないのと同じですね。どうしても説明しようとすると一般的な言葉を使うか・独自の感覚そのものを伝えるかになってしまいます。
暗黙知からの行動を言語化して第三者に共有して納得してもらうのは難しいと思います。自分独自の学習(栽培歴やら情報収集やら自分の癖やらひっくるめて)に基づく認知的感覚は本人独自の物差しなのでそれから導き出される行動を言語化して伝えると
「それは違う」「できない」「わからない」と感じる人が出てきます。
わかりやすく伝えようとすると客観的な根拠がどれだけ綿密でもすっ飛ばした説明にしなければならないときもあるでしょう。そうすると内容が基本的な情報に留まるか、独自すぎて真似が難しい情報になってしまうかもしれません。
〜暗黙知と形式知とわかりやすさ〜
園芸の本などに書かれている表現や園芸趣味家の栽培についての話しは「暗黙知」に依るところが多いのではないでしょうか?表現としては間違ってない(自分の感覚として間違ってない)し、わかりやすさもある(始める人からすれば)。というところから出てきている表現がいくつかあるのかと想像します。
趣味の範囲の園芸において「形式知」を求める場面は案外少ないとも思います。仕事で決まった工程・数値で細かく作業するようなことが求められる仕事には「形式知」が必要不可欠ですが、趣味を始める・続けるという私的なものにも細かく正確さを求めることに窮屈さを感じる人も多いのではないでしょうか?
理屈や理論優先ではなく感情・情緒的なものから趣味を始める・続ける人もいるでしょう。全体的なイメージから知って細かく学んでいきたい人もいるでしょう。無論、農薬やらの扱いには「形式知」が必須ですが。
表現の例として
例)水やり 植物Xは気温〇〇℃・空中湿度〇〇%の環境の場合(想定として夏が考えられる)で、用土Aを使った3号鉢に対して〇〇ミリリットルの水を根元に何秒間で注ぎ切るように注水する。
とか指定されていたり・条件がたくさんある文を見ると途端に萎えませんか?確認事項と手順が多くて無理!となりませんか?まだあまり園芸に触れたことがない層は特に。なんとなく簡単な作業で取り組めるくらいが最初は難しさを感じないですよね。
例)水やり 多肉植物は夏は夕方に水やりをするよ!冬はよく晴れた日の午前中に水やりをするよ!ドロセラは腰水で育つよ!
と言われると正確さはともかく、なんとなく取り組みやすい気がします。
細かい理由を伝えたい気持ちがあるけれども、難解な文章になってしまうしそれでは伝わらない可能性が高いとなると、本意ではないけれども間違いは言ってないしこの表現で妥協しようかな?となるのかもしれません。もっと詳しく知りたい人は頑張って!経験して!となることが多い気がします。専門書の類ならば前提知識を持っている人が理解できれば良いというスタンスのもので良いと思いますがライトな層も見るような趣味のものだとわかりやすさ優先になるのかもしれません。
園芸の趣味家は文章表現のプロではありませんし、個人的な感覚を伝えることの困難さが栽培方法を共有する上での障害や壁となっているのかもしれませんね。
感覚的なものを伝承させるのは難しいけども
栽培が上手い人や栽培歴が長い人の話しは抽象的だったり基本の話しだったり独自過ぎでよくわからない。そんなこともありますが、その人がする数分・数秒の話しは本人も意識していない栽培経験やノウハウの蓄積が導き出した数年〜数十年分の一言だったりするのではないでしょうか。と想像するとテンションが爆上がりしますね。
園芸は個人単位で見るとわざわざ自分の感覚と第三者の感覚をすり合わせた上で客観的な根拠を提示して共有しなければいけないジャンルではなく一人で植物を上手に育てて完結しても成り立つ趣味です。
感覚的な表現含めて色々な表現を知っていくのも良いかもしれません。具体的な情報も大切ですが、先達の方々の口伝を自分のものにできると趣味のレベルが深まっていくかもしれませんね。
ありがたいことに自分が食虫植物を始めた頃は栽培本や個人サイト・ブログで色々な方が情報共有されていてとても勉強になり、栽培意欲を高めることができました。色々な栽培情報がまた見れるといいなと思います。
長くなりました。小ネタとか言いつつ過去一番の文章量になっています。
追記 なんか文面が似非科学のセミナーみたいな感じになってしまいました。暗黙知という言葉を知ったので使ってみたくなっただけです。すみません。
コメント