内省的な内容を文章にする上で
この記事ではネガティブな表現をすることが多く、またこれから続く文章に自己投影をして感情を動かす方も多少出ることを予想する。内観することで見えてくることは多くあるので、この記事をきっかけとして各々の課題について考察されることを強く勧める。
本文
自分は短期間で購入→増殖→ほぼ全滅のサイクルを繰り返している。最初は3〜5年ほどモチベーションを維持しつつ購入や増殖を行ない、ドロセラ・ネペン・ウトリ・ピンギ・一部サラセニア・ヘリアンフォラなどを転々と購入しながら最初はベランダでタカショーの簡易ビニール温室からスタートした栽培も、植物の鉢数も増えてメタルラック2台を置いて栽培し、そのうちに自分の狭い部屋にメタルラック3台を置いて屋内でLEDを使い栽培するようになった。
個人輸入に挑戦してみたりもした。最初の数年間の情熱はすごいものだった。自分の中では最盛期と言っていい期間だった。時間とお金を使って食中植物にのめり込んだ。もう気分は最高だった。最盛期だったということはこの後の展開は予測が簡単で、自分の欲を優先し計画的ではない、栽培スペースだけ確保したハリボテな環境は徐々に壊れていく。
水やりなどの作業がやりにくい。最初の頃は鉢の数も少なく、仕事が休みの日や出勤前に軽く水やりをするだけで良かったものが数が多くなると時間がかかる。その上で作業性を考えることなく、スペースの確保だけしてきた栽培場所は狭いし段々と水やりが手間だと感じてきた。
しかし、欲と情熱があったので自分の認識としては問題はなかった。ある時、栽培とは違う要因で腰痛が癖になってしまった。しかし自分の認識として問題はなかった。問題はあったけれど見えていなかった。
欲と衝動が抑えられない。そもそも後先を考えずに増やした栽培スペースを考えると止めることは勿体ない。
計画的ではないから抑える場面を想定していなかった。当時は仕事もうまくいかず、現状に納得できない自分の逃げる場所として趣味にのめり込んでいた。のめり込んだ割に栽培はそれほど上手くならない。情熱で続けているのか、欲で続けているのか、衝動なのかもうわからない。
そもそもこの辺りの記憶の時系列は自分の中で怪しい。仕事が嫌になっていた時期と食虫植物の栽培最盛期が被っていたかがあやふやであまり思い出したくない。
この頃の自分は仕事を辞めてプータローとなっていた。Twitterにぷぅ太郎というアカウントが登場した。
仕事を辞めた自分に残された自分らしさは趣味だけだった。ある程度の自分を保てていたのも趣味のおかげだった。時間に余裕ができたこの辺りが最盛期だったかもしれない。強い執着があるのもこの頃だった。
精神的に不安定で栽培も不安定になった。なかなか植物のケアをする気力がわかない。数だけはあったのでのしかかってくる作業量はその頃の自分の許容範囲を超えた。
自分のできる範囲の上限は過去の記憶で美化されながら、それを取り戻すことは難しいのがわかる。衝動が薄くなって、安心する自分がいる。植物を維持するサイクルが1年〜1年半ほどになり、その中で執着があり、何とか維持できている食虫植物がメキシカンピンギだった。
そんなこんなで、再就職もできたりで無事?社会復帰した自分はプータローではなくなった。ピンギ好きなぷぅにアカウント名を変えた。
植物を栽培するならば長期間の維持は当たり前と思う職人気質な想いを持っている人から見ると周期的に植物を枯らすような植物との向き合い方は論外となるかもしれない。
上を見ればきりがないけれど、下の方を見ると私のような向き合い方をする奴もいる。
食虫植物、とりわけピンギキュラにチャレンジする人は安心して挑戦して欲しい。色々な考え方はあるし、技術と理念が素晴らしい人が割合として多い気がするけれど向き合い方はそれぞれだ。
無計画で衝動的でも続けていけば経験になってそれを少しだけ後世に伝えることができる。
終わりに
当分書くことがないので一区切りとして自分語りをしました。栽培の参考にはなりません。
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